エベレストトレッキング19日目
ネパール ジュビン村(jubing)標高1,600メートル
朝は少し遅れてしまい、朝食を食べて、出発するときには9時半になっていた。
ヤバイヤバイ!急がないと。
この日は目標としては、27km先のサレリ村まで帰ることだ。
そのためには、難関の1100メートルの登りがある。標高2,750メートルのタクシンドゥ(Taksindu)という村の峠まで登るのだ。
1日に1100メートルの以上の高度を上るのいうのは、この20日間のトレッキングでも初めてだ。かなりツラいことは覚悟した。
まず、宿を出て30分位かけて100メートル程標高を下げ、そのあとは登り道を歩く。
14時までに上の峠に着いてないといけないので、休憩無しでひたすら歩き続ける。
一歩一歩、着実に上へと進む。
2時間程歩くと、3日連続で白人カップルに会った。
またコイツらかよ。
「また会ったな!」と軽く挨拶をして日課のように追い越す。
奴らに追いつかれたくないので、歩くペースをあげた。
しかし、途中で道に迷ってしまい、地元の農民に訪ねて自分が道を間違えた事が分かり、道を引き返す。
すると、さっきの白人カップルもこっちの道に来ていた。
くそっ!
折角引き離したのに、迷ったせいでまた追い付かれてしまったよ。
しかも迷ったから体力と時間をかなり消費したし。
カップルに道を教えてあげて、また歩き出した。
しかし、カップルの代わりに俺が犠牲になったのも解せないな。
俺に会わなければアイツらも道に迷って時間を無駄にしていたのに…。俺に感謝してほしいわ。
っていう、ひがみ根性も生まれてきた。
とにかく、奴らを引き離すにはペースを上げて歩き、タクシンドゥ峠で業務用トラックにヒッチハイクで乗ることだ。
その思いでひたすら歩き続け、昼には標高約2,200メートルのヌンタラ村に到着した。
よくよく考えると朝から700メートルくらい標高上げるってかなり凄いけど、トレッキング中はそういうこと考えていないので、何も思わなかった。
普通はここでお昼ご飯を食べるのだが、ここで休憩していたら14時に峠に着くことはできないので、昼飯は食べない事にして、休憩無しでまた歩き始めた。
一応、小屋でチョコレートとビスケットを買い、歩きながらカロリーを摂取した。
たまーにタクシンドゥの方から降りてくるトレッカーとすれ違う。
もうすぐ冬なのにこの時期から登る物好きなトレッカーも僅かにいるようだ。
てか、こっから550メートルも登るとか、かなりつらいんですけど…しかもこの12kgの荷物を背負いながらはかなりキツイ。
はぁはぁ言いながら登っていたら後ろからカッカッという杖の音と足音が…
いや、まさか。
振り向くと、なんと同じような単独トレッカーがかなりのハイペースでこっちに向かってきては一気に追い越された!!!
え、マジで!?なんだよコイツ。
風の又三郎かよ。
今まで人に抜かれた事なんて殆どなかったのに、コイツ涼しい顔して私を越していきやがった。
私たちは「Hi」とだけ挨拶を交わした。
見た感じ日本人顔だったが、俺と同じように無愛想な奴だったので、話すタイミングは逸した。
※ちなみに、後日、彼は日本人だと判明する
日本人か確かめようと思い、後ろから「歩くの速いな」と英語で何か話しかけたが、距離もあったので、何を言ったかお互いによくわからなかった。
奴に少しでも付いていこうとしたが、無理だった。
奴のペースには敵わない。
ちくしょう!
なんだよアイツ。
ピクニックに行くような小さいリュック背負って。あの小さいリュックだけでエベレストベースキャンプまで行ったのか?
だとしたら、ホントに何も持っていってないな。着替えも持っていかずに着てる服だけですごしたのかな。
などと色々と考えてしまった。
奴が歩くのが早いのはその小さいリュックという事もある。しかし、それを考慮したとしても歩くのは早すぎる。
私が奴と同じ重さのリュックを背負ったとしても同じペースでは登れないだろうな。悔しいけど。
※今思えば、たぶんエベレストトレッキングではなく、ここら辺の途中の村までの数日のトレッキングだったのかなと思う。でないと、あの荷物の軽装と少なさは意味不明。
そのあともひたすら歩く。
1時間半以上、ひたすた登り続けた。
景色が大分変わってきて、さっきのヌンタラ村まで見下ろせる高さにまできた!
拡大。これが昼に通過したヌンタラ村。
しかし、今がどこらへんで、あとどの位なのかは私には分からない。
とりあえず歩き続ける。
奥にヒマラヤが見える。
なんかここが頂上っぽいからもう少しで着くはずだ。
ん?道端に何かある。
お供え物かな?何か日本にもありそうな。
途中で集落が出てきた。
そこで立ちションをしてまた歩き始める。
まだかよ。
もう、満身創痍だった。
もうすぐ着くと思った地点から30分以上歩いても着かない...。
僧帽筋が限界に達した時に、ようやくタクシンドゥ村についた!!!!!
ウオーーーー!!!!!!!
やったぜ。
時刻は丁度14時。
今度はすぐ下山だ。
朝から1100メートルも標高上げきたのにすぐ下山開始。
間髪入れずに歩き始める。リングム村まで歩いてる最中にヒッチハイクの車を見つけないと、今日中にサレリ村までは着けない。
歩いていると、遠くから ガタガタ、ゴトゴトっという音とネパールの音楽が聞こえてきた。
これだ!!
と思い振り向いて大型トラックが来るのを待った。
音楽を鳴らしたトラックが来たので手を上げて止めた。
トラックの荷台に乗ろうとしたら、なんと、なんと、
何故お前らがーーー!!!!!!!
そう。私が追い越した筈の白人カップルが既に荷台に乗っていた!!!!!
は?
なんだよ。なんでだよ。なんなんだよ!!!!
私はバッグをトラックの荷台に放り投げ、荷台に這いあがろうとすると、白人の男の方が手を掴んで私を引き揚げた。
「おい!また会ったな!なんでなんだよ!」
奴らは笑いながら、「下でこのトラックを拾ったんだ。」と言った。
ふぁっ!!!?
え、マジかよ
え、えええええええええ!!
そう、この白人カップルはヌンタラ村で昼飯を食べた後、このトラックが通り過ぎようとしたのでそこからずっとこれに乗ってきたらしい!!!
なにぃっ!
マジかよ!
おいっ!!!!!!
俺が必死になってコイツらを引き離す為に山を登っていたのに、コイツらは悠々とトラックの荷台に乗りながら登ってきたらしい。
ということは、あの550メートルの登りを経験していないという事か?
マジかよ。
あのメチャメチャきつい登りを経験せずにここまで来たのか。
せこっ!!!
いや、まぁ、セコくはないんだけど、なんか悔しかった。
くそぅ。
「あなたは歩いて来たの?」
女の方が聞いてきた。
「そりゃそうだよ。その代わり昼飯を食ってないけどな。」
私は答えた。
「スッゴい!!あなた歩くのめちゃくちゃ
速いのね!!!体力あるわね!!」
嬉しくねぇし。
そんなとこ褒められても全然嬉しくねぇし。
俺だってゆっくり昼飯を食べたかったし、トラックに乗れたんなら、あんなくそキツイ山道を何時間も登りたくなかったわ。
まぁ、もう後の祭りだから言ってもしょうがない。
この件は諦めよう。
奴らに運があったという事だ。
お昼ご飯を食べないで登ってきたって言ったから女の方がビスケットをくれたので食べた。
彼らの国籍はどうやらポーランド人らしかった。
「人生でポーランド人に初めて会ったわ」
と私は言った。
彼らとは3日連続で会ってたけど、ちゃんと会話をするのは初めてだった。
2年くらい旅行するらしく、今度日本にも行くらしい。
最初だけそんな会話をしたが、車が動き出すと会話など殆どできなかった。
凸凹の山道のため、上下左右に揺れるから会話どころではない。
必死になって荷台の手すりに掴まるが、揺れまくって脇腹を何度も荷台の外壁に打ち付ける。
マジいてぇし。
きっつ。
これはこれでキツイな…。サレリ村までもつかな。。。
掴んでる腕の力を緩めると荷台に振り落とされるため、力をこめてずっと手すりを掴む。
そのため、腕と握力と腹筋と側筋と体幹がかなりキツイ。
サレリ村までは、ここから10kmあるので、長時間は覚悟しないといけない。
一回、どこかでトラックが止まり、人をおろした。
その時に1枚写真を撮った。これがポーランド人の姉ちゃん。
姉ちゃんはそこそこ可愛い。男の方は、写真はないが、そんなにかっこ良くない。
ちょっとだけポッチャリで眼鏡かけてる。でも性格は堂々としているというギャップ。
またトラックは走り始めたので、動画を撮ったが揺れすぎて無理だった。
これは私の撮影の腕が悪いのではない。
揺れすぎてまともに撮れないのだ。
脇腹をまた横の壁に打ちつけて撮影はやめた。
トラックの荷台は凄い事になっている。
揺れまくっているため、荷台に置いた私たちのバックパックは、これでもかというくらい砂埃にまみれてぐしゃぐしゃになっている…。
帰ったら洗わないと。
ところで、これ、いつまで続くんだろうか。
キツい。ずっと体に力が入った状態であと1時間以上もこれか。
なんとか1時間ほど走ると、ようやく山道ではない道にでた事によって少し体が楽になった。
前方に荷台に藁を積んだトラックが走っている。その藁の上に人がこっち向きで座って乗っている。
ん。
よく見ると、藁に乗っている奴は昼間に私を颯爽と追い越していったあの日本人風の若者だった。
アイツもヒッチハイクしたのか。。
その後30分ほど走り、なんとかカプルーの村に到着!ここで終着らしい。
カプルーというのは、サレリの1.5kmほど手前の村。
さて、ドライバーにチップを払うかと思い、ポーランド人に幾らで交渉したか聞いたら、一人500ルピー(500円)だと言う。
私も500だとドライバーは言ったが、「奴らは下からだけど、俺は峠からだから200でいいだろ」と言って、200ルピー(2ドル)にしてもらった。
彼らの1日の所得は8ドルもないだろうから、この位が相場だろう。
さて、ポーランド人はここカプルー村に泊まるらしいが、私は1,5km先のサッレリ村に泊まりたいので歩く事にした。
後編へ。
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