2015年12月24日


パキスタンのラホールから陸路でワガ国境を越え、インドに入国した。


3ヶ月ぶりのインドだ!


国境では、やれ2,000ルピーやら、やれ1,000ルピーやらでアムリトサルの町まで行ってやるというボッタくりタクシーを無視し、我々は20分ほど歩いてローカルのバス停に行き、そこで30ルピー(50円)でローカルバスに乗り、30分ほどかけてアムリトサルの町に到着した。



アムリトサルは黄金寺院が有名で、一緒にいる韓国人女性も数年前に来て以来、久しぶりなので行きたかったようだが、私は今回すでに2回も来ている為、アムリトサルには泊まらずに、そのまま電車でインドの首都デリーまで強行することにした。


申し訳ないが、彼女の意向は無視だ。行けたければ一人でここに残ればいい。



さて、アムリトサルについてから、列車の駅に向かう。この際、リキシャ―のオヤジと早速、金銭問題でひと悶着あったが、最終的にはうち勝った。やはりインドに入るとすぐに揉めるな~。インドはやはり疲れるね。毎回、彼らの言い分を断固拒否しないといけないのでエネルギーが使われこっちも疲れる。



キレてないけど、ガチでキレているフリをしないと、向こうも隙あらばとしつこく言ってくるので、毎回ガチギレ(ふり)をするのだ。


さて、駅に着き、とりあえず、何かご飯をお腹に突っ込みたいと思ったが、なかなか食堂とかがなかった。




すると、韓国人女性がお椀に食べ物が入ったものを2つ手にして持ってきた。
「はい!」と私に渡してくる。





「なにこれ?」





「まかないよ。インドではたまに無償でまかない飯がふるまわれるの」と彼女がいった。




彼女の視線の先を見てみると確かにインド人が列を作って並んでいた。
なるほど、あれに並んできたのか。



そういえば、4カ月くらい前にインドのブッダガヤ―にいた時に日本人の大学生が「無料でご飯を配っているので、そればかり食べてました。」と言っていたのはこのことか。





初めて支給食を食べた。味は普通だが、豆類で作られており栄養が取れてありがたい。




さて、我々は本日中にデリーまで行かないといけないという強行スケジュールなので、駅で早くチケットを買わねば。と思い、駅舎に入り、そこで驚いた。。。






!!








むーりー(;゚Д゚)












インドのローカル列車のチケット売り場はカオスだった( ゚Д゚)






一応、列はあるものの、誰も順番など守らずに、窓口に向かって「わーわー」と叫び、我先にとみんな大群となって群がっていた。






むーりー(*_*)







あんな中で買えないでしょ。。。






インドでは今まで、デリーとかコルカタなど、大き目の駅でチケットを買うか(大き目の駅には外国人専用のチケット売り場があり、買いやすい)、人が殆どいないローカルの駅でしか買ったことがなかったので、こんなカオスなローカル現場に居合わせたのは初めてだった。




横目でそういう現場を見たことはあったけど、自分がそのさ中にあるというのは戸惑った。




マジか。。。




まぁ、しかし、ここで順番を待っていたら、1時間待っても電車のチケットは買えないだろう。





私は心を鬼にして、私の行く方面のチケット売り場の窓口に向かった。






一応、私が一番前にいる。さて、買う時刻が来て窓が開いた。




すると、順番は無視して、横、後ろにいるインド人達が急に我こそはと、窓に向かって、叫び始めた。







「わーーわーーーー」



ヒンディー語が喋れないので当然、私は気圧される。





そこからはスローモーションのように覚えている。




ここで引いてはいけないと思い、私は左腕の側面で思いっきり受付の窓のガラスというかプラスチックみたいな透明な板を叩いた。






すると、自分が思っていた以上に力がプラスチック板に伝わり「ガシャンっッ!!!!」と音が鳴り、そのあと、「うわん、うわん、ぅわんぅ、わんっ」と天井まで続く窓ガラス(プラスチック材)がうなり始めた。





「おおおぉぉぉ、やり過ぎたかな」と思ったが、その効果で、その場が一気に





「しーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん」
と一瞬、無音の空間となり、周りにいたインド人も私の事を驚いた顔でゆっくりと見た。







時が止まった。





「今だ!」と思い私は窓口で「デリー行きのチケットを2枚ください」と言って、なんとか買うことができた。



やったぜ!!

やっぱりインドはこのくらい強気でいかないとマジで延々と待たされて自分が損をするだけだから、我を出していかないといけないな。
私がいなくなった後、数秒でまた「わーわー」とさっきと同じカオスな状況に一瞬で戻った。
実にインドらしい。



さて、私たちは15時くらいの電車に乗り、首都デリーに向かった。




電車の座席チケットは、「スリーパー席」と呼ばれる下から2番目にグレードが低いローカル席だ。

P_20150904_094246



列車では、足の無い人が手だけで電車内を這い、乗客からお金を集めていた。
また、ゲイの人たちも何回か通った。どちらももう見慣れた光景だ。


ゲイを横目で見ていたら、韓国人女性は私に「見ちゃダメ!」と言った。「興味深い目で笑いながら見てるとゲイをバカにされたと思って怒る人がいるのよ。以前、それで韓国人がひっぱたかれたのを私は見たことがあるの」と教えてくれたので、ゲイの事を見ないようにした。



さて、席では我々の目の前にはインド人夫婦がいて、彼らがとにかく食べ方が汚い。
食べたものをボロボロと下に捨てる。
まぁ、でも、インドではよく見る光景なのだが、韓国人のサニーが自分のいる近くでそれをやられるので不満げにしていた。
ちょっと不機嫌になり始めた。笑


そして、インドあるあるなのだが、目の前の席に脚を載せるという座り方。
つまり目の前に座る我々の横に彼らの両足があるわけだ。これはインドでは割と普通なのだが。

彼女は自分の席でそれをやられたので不満げ。(笑。




なんならそろそろ言おうかな、みたない気配すら感じる。彼女が言うのは時間の問題かもしれない。



さて、おなかが空いたので、列車が停まった時に乗り込んでくる売り子のサモサ(ジャガイモをこねたやつ)や停車駅でチャイ(5ルピー)などを購入してその場を凌ぐ。



列車内は12月の夜という事もあり、寒い。窓も閉まらないため、風も入ってくる。


寒そうに震えながら数時間乗っていると、目の前のおばちゃんが我々に食べ物をいくつかくれた。




「おおおおお、ありがとう!」おばちゃんは優しかった。そのせいもあり、韓国人女性もおばちゃんに何も言えなくなった。



時間も夜になり、外も暗くなっていた。




すると彼女がポツリと「今日はクリスマスよ」と急に言った。




「そういえばそうだね」と返した。インドにいたから気付かなかった。




韓国ではクリスチャンが多く、クリスマスは割と大事なイベントらしい事は私も最近知っていた。




私は、そういえば、2日前にパキスタンにいる時にパキスタンにしてはお洒落なケーキ屋さんに彼女と2人で行き、ケーキをいくつか買ったまま、私は食べていない事を思い出した。




私は「これならあるけど?」と言って列車の荷物置きからケーキの入った箱を取り出し、
彼女にケーキを見せた。ケーキはまだ2つある。




彼女が食べたいと言うので、私達は列車の中でそれぞれ少し固くなったケーキを食べた。



目の前ではおばちゃんがボリボリ何かを食べ下にゴミを捨て、外は真っ暗で隙間風がビュンビュンと入ってくるインドの汚いローカル列車の中で食べるクリスマスのケーキの光景はなんとも滑稽だ。




ポツリと「こんなクリスマスは嫌だ」と彼女はえんえんと泣く素振りをしながらも少し笑いながら言った。



私は、「たまにはこんなクリスマスもいんじゃね?逆に忘れないと思うよ」と慰めになるかならないかの言葉を言った。




電車は案の定、2時間ほど到着が遅れ首都デリーに到着した。


時刻は夜の23時近かった。



私たちが電車を降りる時におばちゃんが、カタコトの英語で「あなたたち北部から来た学生でしょ?」と言った。



どうやら、我々をインド北部から来た学生と勘違いしていたようだ。インドの北部はチベット文化圏なので、我々のような顔をしたインド人が沢山いるのだ。それと間違えたらしい。


特に私がみすぼらしい、着古した恰好をしていたという事で、とてもじゃないけど旅行者だと思わなかったみたいだ。だからご飯とかくれたのか。


学生か。まぁ、私は若く見えるからね。



夜の23時近いデリーは、駅以外はさすがに真っ暗で、私たちはごみごみ埃の舞う汚い道路を歩きゲストハウスを探したが、流石にこの時間なので全て閉まっている。



なんとか彼女が数年前に泊まったという安いゲストハウスを探しあてた。

P_20151225_005843


シャッターが閉まっていたので、ドンドンとシャッターを叩いたらスタッフが下りてきてくれて開けてくれた。


フロントでは、既に布団を敷いて横になっており、寝る準備をしている最中だったようだ。
遅い時間だが泊まらせてくれるらしい。



交渉は得意の彼女に任せ、1部屋で部屋で400ルピーで泊まれることになった。



つまり1人200ルピー(350円くらい)だ。



年季もはいっており正直、汚い宿だが部屋にトイレも付いていたので贅沢は言えない。



既に夜0時と遅かったが、私はお腹が透いていたため、一人で真っ暗な路上に出てまだやっている露店でチャパティ20円くらいで買い、食べて寝ることに。


数日で出ようと思っていたが、まさか、ここにデリーに1週間も居ることになるとは、この時はつゆ知らず。

ブログランキング・にほんブログ村へ